少し時間が空いてしまいましたが今回は、ママになってからのお話です。
9月より株式会社武久は会社にして59年目を迎えることができました。
1935年に創業したので創業より87年を迎えます。
前回は、株式会社武久が運営する「しいたけ専門店陽より子」が
ランチを始めたきっかけをお話ししました。
今回は陽より子がランチを始めた2つ目の理由を聞いていただけたらと思います。
私は家業を継ぐと決め実家に戻りました。
3年後に結婚、妊娠出産をしました。
長女が生まれ2か月後のことです。
顔中に湿疹が出始めました。
最初は少しぶつぶつができているという程度でしたが次第にひどくなり、
検診の度「何をしているの?」という言葉を受け、ようやく私は小児科に連れて行きました。【乳児湿疹】でした。
私は飲み薬と塗り薬をもらいました。
ステロイド、なんとなく言葉だけは知っていて塗ってはいけないものだと考えていた当時の私にはとても抵抗がありました。
なので何もせずにそのまましているとやはりひどくなる一方。
周りの人に聞いてまわり、一人目でどうしてあげるべきか・・考える日が続きました。
そんな中陽より子で毎月ワークショップをしてくださる先生にも相談しました。
その先生が
「あなたは何を食べてる?」
唐突にそんな言葉をもらいました。
え?私?なぜ私なんだろうと思いつつも、当時の私は食にさほど関心があったわけでもなく料理も好きではなくいろんなものを選ぶということなく食べていました。
「しいたけのだしをとったお味噌汁とごはんに変えてごらん」そう言われました。
素直に私は出汁をとり私自身の食事をお味噌汁とごはんに変えました。
そうしたところ2日で綺麗に引きました。それは見事でした。
私が食べているものが母乳を通して血液となってわが子の顔に出る、
そして、それを治してくれたのは、他でもない私が母から作ってもらっていた
〈しいたけといりこと昆布〉で出汁をとったお味噌汁でした。
私はしいたけ屋になった時食に関心もなくしいたけが嫌いだったので
『いつかしいたけ屋を違う会社にしよう』と思っていた時、
「あなたはしいたけを売らず食の基本を売っていったらいい」
そんな言葉をかけてもらったこともありました。
頭で理解していたことをわが子に教えられ、
そして何より母が私に毎日作ってくれていた1杯のお味噌汁がわが子を救ってくれました。
私はもともと【しいたけが嫌いで、料理も嫌い】
「しなくていいなら料理なんかしたくない・・・」そう思っていました。
母が作るお味噌汁は前日お鍋に〈しいたけ、いりこ、昆布〉を戻すことから始めます。
お鍋に入れるだけで基本のだしをとることができる、
「そのくらいだったら私にもできる・・・」
そう思い私もだしをとりお味噌汁を作ることを始めました。
このお味噌汁が陽より子のランチに出しているお味噌汁です。
私が生まれてから作り続けてくれた母のお味噌汁、
これは祖母から伝わったものだと聞きました。
「これが次は私がわが子へ
そして地域の子供たちママ達へ伝わってほしい」その想いから始めました。
まだまだ伝えたいことはありますがそれはまた次の機会に。
たった1杯のお味噌汁。
陽より子ランチはここから始まりました。